旅のまとめ
今回の北京旅行で学んだこと、私でも気付かされた事は多かったですね。
中国人との会話は「怒られているの???」
私 「タヌキさんに中国の魅力は何ですか?」
「人間です。どんな所でも大声で話しているし、感情をはっきりと表に出す」
「喜怒哀楽がはっきりしている分、性格に裏がないし、話好きで人との接する機会が多い」
日本観光客の多くは、中国旅行に来た日本人は中国を嫌いになってすぐ帰る人も少なくない。
私もタヌキさんがいなければ、その1人になっていただろう。
言葉が通じなければ意志の疎通に限界があり、コミュニケーションの楽しさなんて味わえない。
見知らぬ中国人と話す場合、目力が強く圧力的に話しかけられている印象が多くあった。
私 「この人は怒ってるのかな??」と思う相手でも、タヌキさんの通訳では「いい人だよ」と言われた。
受ける印象と現実が真逆なのだ。
中国の魅力って「勉強熱心」な生き方
中国の魅力について、私の結論を書くと、『人間らしい生き方』を肌で感じ取れる国』だと感じた。
朝や夕方には、自転車で人々が行き交い、荷台に大きな袋や食物を乗せてペダルを漕いでいる。
市場では、日本ではありえない安価で、豊富な野菜や食物が売買されている。
衛生面が不安に思える場所もあり、食あたりの怖さを感じる店もあった。
バスに乗っても、夜はバス内に電灯も無いから真っ暗。
エンストで止まり運転手が修理する姿も珍しくない。
全ての面において、日本より後進国であることは承知の事実であるけれど、それだけ必死になって生きている人商売している人や勉強熱心な人が多いと思う。
タヌキさんの同室の韓国人の「コアラさん」も、起床から寝るまで、トイレでも勉強する姿勢に感服した。
中国の大学生は大半が勉強熱心で、朝もきっちり起きて学校に行き、夜10時くらいまで図書館で勉強する姿も珍しくない。
ホテルで知り合った19歳の女の子や骨董店の店員さんも、上手な日本語を勉強して話していた。
日本は語学の文法を重んじ、外国は口語を重んじることを肌で感じた。
結局、私も受験で学んだ不得意な英会話では、コミュニケーションの難しさを感じたし、旅行の中で学ぶ片言の中国語会話でも、実戦で通じ使えるとものすごく嬉しかった。
「もっと話せたら・もっと通じたら…」と勉強意欲が高くなっていた。
勉強の本質というのは、こういうところにあると学んだ。
環境に左右されやすい私としては、中国旅行の毎日が良い刺激を受ける日々だった。
後輩のタヌキさんの方が、私より大人に感じた
話は変わるが、この旅で1番感じたところ、悩んだところは私自身の人間性である。
コアラさんによると韓国では「先輩」というのは「実際に兄貴」と呼ぶほど敬う関係らしい。
「されど私はどうだろう?」
寮部屋でも馬鹿なことやってたし、コアラさんはたぶん「キリンを頼りない兄貴。本当にタヌキさんの先輩なのか?」と疑われてたに違いない。
私はタヌキさんより年上だけど、人間的にはタヌキさんの方が上だと感じて、情けなく空しくなった時があった。
今回の旅では、口では「他人を頼らず、自立」と言いつつも、タヌキさんが私のわがままを聞き、当然のように甘えている私。
私の要求に常に文句も言わず答える彼に 私は、さらに彼に高い要求を求めていった。
不器用でも、自ら話す努力が必要だ
異国の地に慣れない私と、ある程度中国を知っていて言葉も話せるタヌキさん。
頼るのも仕方ないけれど、結果として甘えていたことは事実である。
民宰と話す通訳もタヌキさんを頼っていた。私自身が話す努力をもっとするべきだった。
2時間くらいタヌキさんが部屋に居ないとき、コアラさん(韓国人)と英単語やジェスチャーで、時には漢字を紙に書いて2人っきりで悩みながら会話した。
自分の言いたいことを伝える機会を持てたこともこの旅行の思い出である。
自分を甘やかしてしまう性格を続けていては、これから自分の向上は無いと反省した。
身近な友人を大切に歓迎する中国人
中国で出会った全ての人々に感じたこと。
私に足りない自制心や勉強熱意であること。
そしてなにより客人や初対面の人を歓迎し、自分に無理をしないで、優しい応対できる人々だった。
彼等にに会えたことは大きな経験となった。
タヌキさんの住む大学寮の掃除のおばさんには、家に招待され夕食をいただいた。
しかし家は、ブロック塀に囲まれた8畳くらいの倉庫みたいな場所だった。
2段ベッドと小さなテーブルがあり、子供と3人で生活していた。
だけど、たくさんの品数の料理と、明るい笑顔で迎えてくれたのである。
貧富の差が激しい中国でも前向きに生きており、「家族や友人を大切にする」。
芸術や音楽は、国境を越えたコミュニケーションツール
もう1つ驚いたこと。それは感心するほど中国人は手先が器用である。
外の屋台での商品は、たいてい手作りであり、風車や中国ごまや切り絵・粘土の人形、印鑑の名前彫り、天津での泥人形や雲峰さんの書いた掛け軸の書道など芸術というか人が作ったの?と思えるほど繊細で完成された物ばかりだった。
それらの民芸技術、路上ギターなどの音楽は、言葉が通じなくても、国境を越えたコミュニケーションの強みになるとも感じた。
中国の大同にある大仏を本来見に行きたかったが、往復のチケットが予約不可だった。
当日現地に行ったら戻ってこれかっただろう。
「せっかく観光に来ても、寮でのんびりなんて無駄だ!!」と考える私は、1日中歩き回り、1日3食を摂取。
日本では信じられないほど、規則正しい健康生活をおくった。
TVや漫画を見てばかりの日本生活より、充実した毎日であった。
中国の物価は、億万長者になった気分
所持金が5万円での旅行だったが、私は、億万長者の気分であった。
飯には最低3品以上のおかずとビール。道端でも値段に気にせず、買いまくり、食べまくり。
毎日おみあげ、私物が増えていった。
ギターも現地で4500円で購入し、最高の気分だった。
中国の床屋にも行き、ストリートライブもやれた。
タヌキさんの通訳と観光ガイドが、私の中国旅行を、味わい深い旅にしてくれた。
日本に帰国して、中国を懐かしく思う
今の中国は、20~30年前の日本に似ていると聞くけれど、私の知らない文化に触れたことは最高の経験だった。
日本に帰国し、関西空港で120円の缶ジュースを買ったとき、
「あぁ日本の物価は高いな。日本に帰ってきたんだな」と金銭感覚を懐かしく感じた。
関西空港から伊丹行きのバスに揺られながら、この10日間の旅行を思い出して、体がガタガタ震えていた中国のバスを懐かし思った。
中国へ…また行ってみたい…そう思える旅行でした。
北京旅行2000は、これにて終了ですー
コメント