『さっぽろ羊ケ丘展望台』でクラーク博士像を見る

北海道の観光スポット、さっぽろ羊ケ丘展望台にあるクラーク博士像をご存知ですか?今回はその謎めいた像を探索し、その歴史や意味に迫ります。

01)クラーク博士とは?

開拓の父と呼ばれた人物

みなさん、クラーク博士という人物をご存知でしょうか?彼の本名は「ウィリアム・スミス・クラーク」。明治初期の1876年に来日し、北海道の開拓と農業振興に尽力した人物として知られています。札幌農学校(現在の北海道大学の前身)の教頭を務め、「少年よ大志を抱け」の言葉を残しました。その功績から「北海道開拓の父」と呼ばれるようになったのです。

クラーク博士は、自身が育った地であるアメリカ・マサチューセッツ州で農業の勉強をした後、日本に招かれました。そして札幌に赴任し、農業の指導や新しい作物の導入、さらには道路や運河の建設など、多岐にわたる分野で活躍しました。皆さんの食卓に並ぶ野菜の多くは、クラーク博士が北海道に持ち込んだものなのかもしれませんね。

02)さっぽろ羊ケ丘展望台の銅像

「ボーイズ ビー アンビシャス」の言葉を後世に

さっぽろ羊ケ丘展望台に立つクラーク博士の銅像は、有名な「ボーイズ ビー アンビシャス(少年よ、大志を抱け)」という言葉で知られています。この言葉は、1877年4月に博士が札幌を離れる際、教え子たちに残した惜別の言葉でした。右手を上げたこの像は、まるでその場面を再現しているかのようです。

像の足元には「大志の誓い」と題されたポストが設置されていて、ここに来場者から寄せられた「大志」が投函されています。なんと既に10万枚を超えたそうですよ。有名なこの言葉に込められた「夢を抱き、高い志を持ち続けよ」という博士の思いを、多くの人々が心に刻んでいるのでしょう。

03)クラーク博士が残した偉業

開拓を支えた農業の発展

クラーク博士が札幌で行った具体的な活動を振り返ってみましょう。まずは農業の発展に尽力しました。当時の北海道は、寒冷な気候のためほとんどの作物が育たず、食料が足りない状態でした。そこで博士は、北米から様々な作物の種子を取り寄せ、耐寒性のあるものを見つけ出して栽培を広めていきました。

また、博士は道路や運河の開削にも携わりました。当時の北海道は、山が多く交通の便が悪かったことから、物資の運搬が難しい状況にありました。しかし博士の働きにより、新しい道路網や運河が整備されたことで、物流が円滑になり、開拓が進展したのです。

羊ケ丘展望台から、遠方には札幌ドームが眺められる

ヒツジがのんびり草をはむ展望スホットです。札幌ドームも見えます。
「BOYS BE AMBICIOUS 青年よ大志を抱け」の言葉で有名なクラーク博士の像が立つ展望地。
博士の像は大人気。ツーショットで撮影するのも大変。

 

展望台にある石碑

牧場には羊がいました

昭和34年に当時の北海道農業試験場の一部を観光用に開放した。
敷地内にはレストハウスやみやげ店もありました。

さいごに

いかがでしたか?クラーク博士は、「北海道開拓の父」と呼ばれるだけあって、多方面で北海道の発展に尽力しました。特に博士が導入した作物は、現在の北海道農業を支える基盤となっています。決して簡単ではなかったはずの北海道開拓に、博士は情熱を注ぎ続けたのです。

そんな博士の姿勢は、「ボーイズ ビー アンビシャス」という言葉に集約されています。この言葉から、私たちは何を学ぶべきでしょうか。

今一度、この銅像の前で立ち止まり、自分の夢や志を見つめ直してみてはいかがでしょうか。


スポット情報

Infomation
TFきりん

さっぽろ羊ケ丘展望台の情報を紹介しますね

さっぽろ羊ケ丘展望台

スポット名さっぽろ羊ケ丘展望台
おすすめ度
4.0
TEL011-851-3080
エリア北海道札幌市豊平区羊ケ丘1番地
郵便番号〒062-0045
住所北海道札幌市豊平区羊ケ丘1番地
地図